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私の入院

 先日というか先月冒頭から私が入院しまして、その時の事を少し。

 入院した理由は私が椎間板ヘルニアを発症してしまい、とんでもない激痛と指一本も動かせなくなってしまった為に救急車で運ばれてしまいました。陣痛のほうがまだマシかと思う程の痛みで、神経に直接触るあの落雷のような痛みのダメージ、痛みで意識を失いかけるという事が初めてで私も怖かったですが、側で見ていた娘も怖かった事と思います。

 

 そんなこんなで救急隊員さんの迅速な対処に感服しつつ、激痛で動けないだけでハッキリと意識があるのでサイレンを鳴らして搬送されている最中のあの「皆様にご迷惑をおかけして……」といういたたまれなさ、なんとも言えないものですね。夜間救急へ搬送され、検査して問答無用の入院でした。トイレすら行けなかったので無理もないです……。

 

 入院となって心配なのが家の事。4月は娘の高校入学があり、その直前での入院でした。入学に関する事はほぼ終えており、残るは入学式当日での手続きや支払いなのですがお金も書類も全部きっちり用意しておいたから、丸ごとダンナに渡せば問題無かったので事前準備を怠らなかった自分を褒めてあげたい!

 とまあ、自分的救いがそこだけだったのですが。結局娘の入学式も出席出来ませんでした。元々ダンナも出席予定だったのでその日は休みを取っていて、書類提出や支払い関係、定期の購入などお任せしました。問題は普段の家の事。

 

 パートとはいえ専業主婦ですから、家事する私が入院で留守にする事でダンナと娘へかかる負担が心配でした。医師から言い渡されたおおよその入院期間は二週間。二週間も家を空けるのは不安すぎる。なんとか動けるようになったらすぐに退院して戻るから、とダンナに言うと叱られました。

 

「中途半端な状態で戻ってきてもすぐ動けるわけじゃないでしょ、昼間は俺も娘も居なくなるんだからしっかり治るまで病院に居てくれないと困る」

 

 申し訳ないと思いつつもダンナのこの言葉をありがたく受け取りました。でもそれじゃあ家事はどうする、となりましたが娘が「私とお父さんで手分けしてやるよ。大丈夫、出来るよ」と言ってくれて、私がいない間の家事の取り決めなど病室で話し合いました。ちなみに病室は個室でした……「市」とはいえ北国の辺境にあるような市で、救急受け入れの病院も2つ3つばかりしかなく、どこも満床という事でしたがその病院は個室なら空きがある、との事でそこへ運ばれました。病院側の事情の個室ならまあ料金は……と思いましたが個人病院だったのでそれは出来ないそうで。市で一番の施設と大きさなのに個人病院だったとは、初めて知った入院二日目の衝撃でした。

 仕方がない末の個室でしたがゆっくりと家族三人、今後の話し合いが出来ました。私としてはダンナは自分で自分の事をしっかりやって貰うとして、心配なのが娘の事です。まだ春休み中ではあったのでお弁当や学校関係のあれこれは出てきてはいませんでしたが、朝から晩まで塾へ通っている為、通塾でのフォローや試験時のフォロー、送迎、危機管理等々。心配点、問題点を挙げるとダンナが「思ったよりもたくさんあった」と不安を零しましたが、職場に事情を話してしばらくはノー残業で乗り切る事にしてくれました。

 

 入院中、塾から病院が近かった為に毎日娘が来てくれました。必要なものを持ってきてくれたり、差し入れを持ってきてくれたり。家での様子もあれこれと聞かせてくれました。塾のスケジュールは自分で決めて通うので、1日だけ塾を休んで面会時間になってからダンナの仕事の終わる時間まで娘がいてくれた事もありました。個室だったのでその辺り、すごく良かったなと。「お母さんいなくて寂しいから今日は塾行かないで一緒にいる」と言い出した娘が可愛かった。

 ダンナは家事もあるので退院までは週末しか病院には来ない(職場から家に帰る方向とは真逆なので)だろうなと思ってましたが、仕事帰りに来てくれたり塾帰りの娘と病室で落ち合って帰りは外食したりと、嫌味や責められたりする事は一切なく家事の負担も負ってくれました。モラ亭主だった頃と比べると雲泥の差です。

 

 私のパートの仕事は冬季はほぼありません。庭施工に関する仕事で大好きな植物相手が主でした。なので期間限定の仕事をしていて今年もその予定が入っていましたが、始まる前にこのような事になってしまい、職場の方達と相談して検討した結果、パートを辞退する事となりました。職場の方達には「今年もチカコさんに来て欲しい」と仰って頂けてた上に、通勤時間がかかる私の出勤時間などを考慮までして頂いてて大変に良くして頂いたのですが、今後もご迷惑をおかけする可能性なども伝えた上で話し合いの結果、残念な事になりました。私が抜けた事で急遽募集もかけなければいけないので、結局たくさんのご迷惑をおかけした事には変わらないのですが……。ダンナも娘も私がこの仕事に出会ってからはすごく活き活きしていると言っていたので、残念がっていました。土作りや大量の苗運びもあるので、この状態で退院してすぐ仕事に……とはいきませんでしたからね。

 

 それでも二週間の予定を一週間で退院出来ました。看護師さんからも「無理に動こうとはしないで」と言われてましたが、家で自分の事が自分で賄えるくらいまでの回復、が目標だったのでなんとかなりました。階段を登れるようになってやっと全てクリアしたので帰れました。入院費用を1日でも短く……というのが隠れた一番の目標(笑)(これ言うとダンナが「気にする所はそこじゃない!」と怒ったので隠し目標に)

 

 退院しても突然今まで通りに動けるわけもなく、退院から一ヶ月の今でもリハビリに通っています。へたしたら半身麻痺だった可能性もあって、肝を冷やしました。そんな事になったらまだ40代前半で介護して貰う事になってしまいます。つくづく私の健康が家庭の健康に繋がっているのだと感じました。今までは多少の事なら無理が出来てましたが、今回ばかりは無理を通すと取り返しがつかなくなると実感したので、退院後もダンナと娘に甘えさせて貰いました。

 掃除はね、一週間くらい掃除機かけなくても死なないね!な心境になったしご飯作りが困難になったらスーパーの惣菜もあるしコンビニもあるよね!とざっくばらんに考えるようにもなったし(結局一度も使ってませんが)、家に居ても家事は禁止され、日がな一日娘が明け渡してくれたベッドに寝てる毎日。一度日中に洗濯してたらこれもダンナに叱られました。

 

「何か家事をやりたい時には事前に相談する事。やるなら土日の誰かがいる時にやる事」

 

 ぶり返して病院に出戻りになったら元も子もないという事で、ちょっと甘やかされすぎじゃないかと言いましたがダンナ曰く、「ここまでしないとチカコは無理を当たり前のようにしちゃうから」だそうで。それが私の仕事だという意識もダンナは理解してくれた上で、この際だからがっつり甘えろという事でした。私の心配を他所に、二人で分担してある程度出来ちゃうんですね。「俺たち二人分でお母さんの半分程度だけどな……」とダンナが呟いておりました。

 それにしても娘が思った以上に家事を色々解ってくれていて、料理を教えたり手伝って貰ったり、教える機会を設けてはきましたがそれ以上に私のやっている姿を見てくれていたんだなと、嬉しかったです。

「俺より全然娘のほうが解ってるし出来るし、娘にすごい助けられてるな」とダンナが言った通り、私も思いました。入院中の私の用事関連も引き受けてくれたのは娘だし。でも、だからと言って娘にどんどん甘えるのは親として違うので私が出来ないぶん、あなた頑張ってね、お願いね、でした。家事を省略しているとはいえ、やる事がたくさんでダンナがいっとき、ピリッとしてましたが「家事で背負えない部分、どこ?」と聞くと素直に吐露してくれました。まあ、家事じゃなくて残業してないので仕事が気になってしまってのピリピリだったようです。

 

 退院から二週間くらいはそうして甘やかして貰いつつ、少しずつ私も家事に復帰して今は殆どを担う事が出来るようになりました。お弁当は夕食の時に一緒におかずを作り、翌朝詰めるだけにしておいてるので私が朝腰の調子が悪くても、娘が自分で詰めて学校へ行けます。娘の学校が翌日休みの時、ダンナは「俺の明日の弁当なくていいよー」と言ってお弁当のおかずに悩む頭を休ませてくれたりもします。

 それにしても家族の為にご飯を作れる事がこんなに嬉しいものだとは……。「お母さんのご飯だー!」と、手料理を喜んで食べてくれるダンナと娘に胸が熱くなりました(笑)

 掃除機とトイレ掃除だけは、まだ無理が出来ない状態でダンナにお願いしています。トイレ掃除が盲点で、狭い室内、終始中腰で力の必要な作業もあったのですが、ダンナに頼みにくかった……。でも「今まで家族が汚したものをチカコ一人で綺麗にしてくれてたんだし、自分で汚したものは自分で掃除して当たり前だから」と快く引き受けてくれました。

 これが建前で本当は嫌かもしれないけれど、モラ亭主だった頃はきっと「自分で体を壊したのは自己責任。その上自分の仕事を人にやって貰うならそれ相応の覚悟を見せるか、もしくは自分で責任取って自分でやるか」というような事を言われていたでしょう。当時を思うと本当に想像に難くない展開です。だから今は嫌だったとしても『自分で汚したものは自分で掃除を』と自己に言い聞かせたのだとしても、そこには『一緒に生活する相手が見えている』のです。

 

 共存を選んで今振り返ると、ダンナの視野がすごく広がったように思えます。ものの考え方を捉える視野という意味ではなく、文字通り『見える範囲が広がった』という意味で。モラ亭主だった頃は本当に『自分しか見えていない』んだろうと思わせる行動、言動の毎日でした。それがいつしか『私』が見えるようになり、『子供』が見えるようになり、『周囲』も見えるようになって随分と変わりました。考え方はやはり変わらないものの、見えるものが広がっただけで驚くほどの違いです。だからと言って今のダンナがもうカンペキないいダンナになった、とは言えませんが(笑) ごくごくありふれた普通の家庭の旦那さん、なのではないかなと思います。

 

 そういえば”普通”を意識せずに暮らしているなあ、と思えた今日このごろです。

| あれからの我が家 | 15:24 | comments(0) | - | pookmark |
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