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新たな問題
お久しぶりです。
正直なところ、「モラハラ」というものが過去になり、平和な現在は書く事が無いというか、あまりにも平々凡々と暮らせるおかげでこの場所を忘れがちになってます。
それっていい事なのやらどうなのやら。

タイトルの通り、新たな問題が浮上してきました。それは私をずっとずっと苦しめてきていたダンナの事でも後遺症の事でもありません。

ダンナの親のことです。

実家の両親(?)の事で悩む事が多くなりました。
上の(?)というのは、父親はダンナの実父なのですが、奥さんが後妻さんで私より9つ上というとても若い奥さんです。ダンナとは6歳違いになるので「母」というには歳が近すぎるのが(?)の理由。

親も私たちも歳を取ります。
今回の問題は、この親たちの老後の話。
どこにでもあるような「歳をとった親の面倒を息子家族がみる」という話なのですが……前述の通り奥さんはまだまだ若いのです。そこが困った所なのです。

例によってダンナの話も交えて長くなりますので続きへ。
 
先日のGWに、我が家は恒例のダンナの実家へ帰省という行事を済ませました。息子はとある専門学校へ進み、現在は寮暮らし。反対する私達を説得しての進学です。自分の将来というものをしっかり設計した、私達親よりもしっかりした長男になりました。
そんな息子も一時帰宅し、ダンナの実家へ。

毎年の事ですが、私はいつも胃を痛めて帰ってきます。

ストレスが半端じゃないんです。帰れば快く迎えてくれますが、会話も態度も他人と同じです。ダンナも義父は親子でありながら世間話だけ。でもその世間話も普通じゃありません。

「このCMは嫌い」
「向かいの人んちに頻繁に来客がある」
「隣の家の車の開け閉めがうるさい」
「あの店の店員は常識を知らない」

などなど。主に何度も繰り返されたものを挙げましたが、いわゆる「悪口」や「文句」を延々と聞かされます。それに私達が同意するものと当然のように思っています。下手に「そうは思わない」と言うとそれは聞かなかった事のように流されます。

それでも、息子や娘を連れて帰れば孫に会えて嬉しいものだと思うから帰るんです。もちろん、喜んでくれますよ。笑顔を見れば「ああ、連れて帰ってきて良かった」と思うんです。

だけど……ご近所の方の所に頻繁に訪れる娘さんやお孫さんの話にすぐ切り替わります。週に3度も来ている。多い時は5度も。

近いんでしょうね。娘というのは実家へよく帰るものだからそういう感じで頻繁に帰られるんでしょう。だけどそれをさも「悪い」事のように義父が言います。それは常識では考えられない事だと。

「チカコだって、引っ越して今は実家に近いだろうけど、そうそう帰らないよねえ?」

義母が私に問いかけます。
……困りますよね、こういう聞かれ方。もう私が頷く事を想定した聞き方ですもん。実際、週に何度もは帰りませんが月に1度くらいは帰ります。むしろ我が家のほうへ両親が頻繁に来ます。こっちは大きな街なので、用事のついでに寄っていくという形ですが。
ありのままを答えた私に、義母は「ふぅん……」それだけでした。

こんな感じのが毎年。ここまではいいんですよ、解っていた事ですし。私達の話す隙などないくらい義父も義母も弾丸喋りです。こちらの返答など聞いてませんし、喋りたいだけなんです。
お酒を飲み、肴をつつき、ふと義父が言い出しました。

「俺が死んだら、この家はおまえらに任せるから売るなり住むなり好きにしろな」

……はい?
突然どうしたのかと思ったら「いやいや、一度言っとかんとな!」と。
でも、私もダンナも複雑です。義父たちの家はダンナの育った家ではありません。息子二人が出た後、今まで住んでいた町から出て買った家です。買う話も何も聞かされず、ある日突然「家を買った!」という連絡だけでした。うん、それはいいんです。義父たちが欲しかった家なんですから。

かつて高校生だったダンナは、獣医を目指して猛勉強していました。「大学へ行っていい」という父親の言葉を信じ、目指す大学に向けての勉強を頑張っていました。
それが高校3年生の三者面談の時です。
「大学へ行かせる金なんかない」
父親はあろうことか、行っていいという言葉を事前に否定する事なく、その三者面談の場で担任へそう告げたそうです。……ダンナは、声も出ないほどのショックだったと言います。その言葉を聞いてから以降、何を話したのか全く覚えておらず、あれほど獣医になりたいと頑張っていた勉強も「なんで大学も行けないのにこんな勉強しているのか」と、すっかり心が折れてしまったそうです。

そんな経緯を経て、ダンナは「もうなんでもいい」と受けた公務員試験に合格。とにかく早く家を出たくて、父親の呪縛から逃れたくて遠い地に赴任してきました。そうして私と出会ったんですけど。

息子二人が家を出た後、そうしてすぐに家を買いました。
「……金、あったんだ」
とは、連絡を貰った後のダンナの言葉。ほら、そのあと必死で働いてお金貯めたのかもしれないし、とは私のフォロー。解ってる、とダンナは言いますが、わがかまりが残っているのは明らかでした。

そこへ「この家を売るなり住むなり好きにしろ」と。

いらないんです。そんな家、ダンナは。というか財産など持つ気がありません。死んでしまったあとの家の片付けなどを任されたくはないのです、ダンナは。子供の反発と思われましょうが、日頃から自分たちの都合のいいようにしか考えない父親と義母が残したものの後始末を、私もやりたくはありません。残った家をどうするかまで、まず買った本人たちに考えて貰いたいのです。

ましてや「住むなり」って。
私達は転勤族です。定年するまで引っ越して歩きます。ここは北海道、広い広いこの大地を何度もあちこちに引っ越しながら暮らしてきました。これからもそうです。義父も義母もそれは解っている筈です。だから「住むなり」は絶対無理。定住はできません。

で、売るなり。
………義母は?
そう、彼女は私達とそう歳も変わらない若い人です。

「お父さんになにかあったら、ダンナもチカコも頼むね」

え? え? え?
面倒見ろってこと? まさか一緒に暮らせって?
「お父さんも定年退職したし、私は厚生年金払わなきゃならないし、でもお父さんいなくなったら払えるかどうかも不安で……」

全面的な面倒を要求されました。

働けよ! 働ける歳でしょ!?

「私のこの歳で使ってくれる所なんてない!」

探してないだけでしょ!? 働く気がないだけでしょ!?
「まってまって、私らは定年まで動くし、おねえが動けない歳になった頃には私も動けない歳になってるし」
そんな私の言い分など、柳に風。

「チカコはこの家にきた嫁として」

出た。私を納得させる為の常套文句。とりあえず口論は避けたかったので(おねえは癇癪持ちなので厄介な事になります)(……包丁振り回すとかね・笑)その場は適当に聞き流しました。

夜も深まり、ダンナは早々に寝ました。リビングにいても話す事もないし文句や悪口ばかり聞かされるから逃げたんですけどね。まあ、残された私に集中するのはダンナも解ってるのでいつも帰りの車の中で「お疲れ様でした!」と労ってくれるのでいいですけどね。
で、息子も娘も寝るという時。私も一緒に寝ようと思ってたんですが、「お母さん早く寝よう」とせがむ娘におねえ(義母)が。

「チカコはね、おねえとまだまだお話するから先に寝なさいね」

なぜあんたが言う……!(笑)
私は寝る気満々でパジャマまで着てるというのに。リビングに残って話をするなんて話も聞いてない! だけどまあ、積もる話もあるんだろう。おねえは友達がいないので話相手が欲しいと言ってたから、年に一度しか会えない私に会えるのも楽しみにしてくれていると言うから、せっかくだし、と娘に謝って先に寝て貰った。

義父は気を利かせてか(笑)そそくさと寝室に行ったし。さあ、一年分の色んな話を聞きましょう。と意気込んでもやっぱり無駄で、昼間に話していた事の繰り返しを延々と。お向かいに頻繁に来る娘さんやお孫さんの文句。周囲は高齢者のお宅が多いけど、孫やらなにやらでうるさいだの、しまいにゃ隣の家に帰ってきた息子夫婦が実家の前じゃなくてうちの前で車を止めて子供を降ろしただのへの文句。
いやそりゃ駐車場もないし狭い道路だし、びったり塀につけてから車から降りるより先に降ろしたほうがドアもぶつけないからそうしたんじゃないのかなーなんて人の話は聞いちゃいねえ。聞こえても覆されるから無駄だけどね。

とにかく自分たち以外の全ての人が「不審者」扱いです。

ここでちょっと義弟の話。
北海道を出て遠い場所で仕事をしています。しかし必要な書類などの関係で地元の市役所へ行かなければならなくなったとのこと。飛行機の時間が遅くにしかとれず、仕事の都合もあってどうしても深夜に北海道着になってしまいました。そこで前もって実家へ連絡し、一晩泊めて欲しいと。

「その時間は寝てるし」
そこをなんとか。すまんけど鍵を開けてて貰えれば……。
「そんな無用心な事はできない」
いや、深夜と言っても夜の10時過ぎくらいにそっちに着くからちょっと起きて待ってて。
「お父さんが寝てるのに私が起きてたらお父さん、起きちゃうからだめ」
とりつくしまもなく、義弟は実家へ帰らせて貰えなかったらしいです。
後日、それとなくこの事を義父たちに聞いてみると「それは仕方ないもんね」と言われました。

自分達の都合で、子供が家に帰る事を拒否。
意味がわからない。
義弟は毎年冬に仕事でこっちに来るついでに我が家にも滞在してってくれます。その時にこの話を私達に打ち明け、「昔から思ってたけど、うちはおかしい。家を出て益々そう思う」と。

自分達の都合。
それが義父にも義母にも最優先です。

義父の家で娘が見たいテレビをつけてくれました。しかし、音量はスピーカーから微かに聞こえる程度。「これ以上は電気代がかかるから音量上げちゃだめ」と義父母。

ねえ、可愛い孫じゃないの?
一年に一度しか会えない孫じゃないの?
その孫はテレビのスピーカーに耳を当てても聞こえなくて音量上げて欲しいと頼んでもだめって、どういう事なのか私にはさっぱり理解できない。これは図々しいの?
娘はとうとう観るのを諦めました。だって聞こえるように静かにしてても義父も義母も構わず弾丸喋りだもん。義父がリタイアしたから節約の為に音量も上げて貰えない。そんなの孫が不憫に思わないの?

言いたい事は山ほどあったけど小心者の私は言えずじまい……。

息子は今年進学しました。ぶっちゃけると私の実家のほうから進学祝いは10万円。両親ともにリタイア済みです。が、お金のかかる学校に行っちゃったし寮費もかかるからと両親が無理して出してくれたお祝いだと思います。
義父母からは、なんと1万円。いちまんえん……。
いやいや、お祝いもっと寄越せって言ってんじゃないです、決して。義父が働いていた時は息子の中学への進学にお祝い3万円も頂きました。ありがたかったです。
でも今回の1万円。明らかに、義父がリタイアした事で収入が減ったからです。それでもこうして頂けるのはありがたい事です。ただね。

「お祝い」に自分達の都合が丸見えなのがなんだかなあ、です(笑)

お祝い貰った事をダンナに告げて、金額を聞かれたので伝えました。
「親戚かよ!」
と思わずツッコんだダンナ。そのツッコミで私はこの人が自分と同じ価値観にいると確信(笑)

「俺は財産を持つ気はない」
とダンナは義父母の前で言いました。
「そうかそうか、ならこの家を売ればいい」
と義父。
解ってないなあ、自分の息子の事。
この人のこの言葉の意味は、そうして売ったお金や残ったなんらかのもの、親の残したあらゆるものも持たないという宣言なのに。つまり親の持ち物に一切関わらないと言っているのに。
おねえはおねえで、私と二人になれば必ず「お父さんに何かあったら、チカコ頼むよ」と言ってくる。今回は執拗に、何度も何度も。おまけにおねえも収入なしだから生活の心細さ、身内が近くにいない寂しさ、「私は自分の全てを犠牲にしてお父さんに尽くしてきた。だからチカコ、あんまりお父さんに寂しい思いをさせないで」ともっと頻繁に帰ってくる事まで要求。

じゃあ、あなたはこの家にきた嫁として義父の親の面倒をみてますか? 自分の親も捨ててきて絶縁までしたのはそれなりの理由があっての事かもしれないけれど、そんな経緯を経ていながら私に「嫁として」の何かを求めるんですか?
「俺は兄弟の末っ子だけど、俺だけ財産あたってねえんだ」
お義父さん、あなたはそう言いますがあなたこそ実家の両親の面倒は上の兄弟たちに任せっきりで、あなたの口からは親への悪口しか聞いた事がないのに私達には「頼むな」とよく言えますね。

ダンナは自宅に戻ってからもダメージから回復しません。
親の事で悩むというより、腹が立って仕方がなくて、夜も眠れなくなってきてます。この事について何度か私とダンナで話もしました。その中でダンナが幼い頃に受けた傷もぽろぽろ出てきました。

二度目のお母さんの時。結婚生活は長く続かず、すぐに別れてしまったそうです。
けれど別れた原因は「おまえのせいだ」と。
……小学生の子供に、別れる事になったのはお前のせいだと父親に言われたのです。
確かに自分の性格は問題ありだから、原因は俺なんだろうな、とダンナは言いました。泣き出しそうな顔で、堪えた声で。初めてきいたそんな出来事に、私は涙が零れました。

血が繋がってるかどうかなんて、俺にはちっとも大事な事じゃない。

これはダンナがよく言う言葉です。
血が繋がってるから父親。ダンナはそれを否定します。

「俺の父親と母親は、お前の父さんと母さんだと思ってる」

涙が流れて止まりませんでした。悔しくて、悲しくて泣けてしまいました。
子供にこう思わせるに至るまでの事が、何度もダンナの実家へ行くたびに解ってきます。ダンナの性格形成に影響したものが何か、ダンナが「理想の家庭を築く」事に異様なほど執着した理由。持って生まれたものというのもあるかと思いますが、多くはこうした家庭環境や義父からの理不尽な言葉が作り上げてきたものでしょう。

ダンナは先日、実家へ電話しました。
義母の面倒をみる気はない事、会っても悪口ばかり言わずに楽しい話をしよう、と。義母と結婚する時、義父はダンナや弟に「お前らの母親じゃない。俺の嫁さんだ」と言ってるのですから、その宣言の通り義母のその後はそっちで決めて欲しいと。母親じゃないと線を引いておきながら、今更母親として「面倒みてくれ」は聞けない、と。
私はその電話をする前に聞きました。「それでもし親子の縁を切る事になっても?」と。ダンナはそれも致し方が無い、そうなっても、「悪いことに、俺はきっと罪悪感を感じない」と。それで私も覚悟を決め、電話をする前に弟にも連絡して筋を通しておけと言い、ダンナはそうしました。
もし私たちに頼れないとなると義弟のほうに矛先が向かうと思いましたから。
ていうか私らか弟のほうかという話も出てたので。
まだ独り者の義弟なのでそうそう面倒みれる話ではないと思いますが。

ダンナは電話しました。で、長い話になるかと思い、奥の部屋に篭って電話しました。
が、すぐ出てきました。
どうだったの、と聞くとダンナは苦笑してました。

「そう受け取られたか〜、そんなつもりじゃなかったのに」

笑って、義父はそう答えたそうです。
じゃあ、どういうつもりだったのだろう。どんなつもりで自分の死んだ後の話を出したのだろう。何を考えて家のその後を言ってたのだろう。
まったくもって、理解不能。
「笑って受け流すか……」
ダンナも乾いた笑いです。だけど、目に涙がたまっています。
こちらの意図を解って貰えない。これまで積もっていた事をダンナは打ち明けたそうですが、笑って受け流されて終わりでした。伝わらない、解って貰えない。

その時のダンナは、蘇ってきた子供時代を耐えるようにぐっと唇を引き結び、涙を堪えていました。

十年に渡ってあれほど私を苦しめたダンナは、もうどこにもいません。それは彼の半端じゃない努力を目の前で見てきた私が、確信を持って言えます。
それと同時に、ダンナも私も「根本は変わっていない」事を解っています。ダンナは自分の根本と戦い続けていく覚悟を、私はそんなダンナの側にいる事で過去を忘れられない事と、これからも起こり得る事である覚悟を持っています。
今、ここには「ダンナが夢見た家庭」があると言います。それを作り上げたのは、ダンナではなく、ダンナと私の二人で努力してきた結果だと私は思います。
何より、私達が今こうしていられるのは、私の両親、そして私の二人の兄たちのおかげである事が大きいです。ダンナと真摯に向かい合い、語り合った兄たち、私達の問題に周囲の人たちがたくさん、たくさん涙を流して力になってくれました。

この、私達に起こった問題をダンナの義父も義母も知っています。

義父は何も言わず、何も声をかけてくれず、今現在までその事に触れた事はありません。義母は「そんな子じゃなかった、暴力を振るう子じゃなかった」と言うばかりです。こうした経緯が、悲しい事にダンナの「血の繋がりなんて何も大事な事じゃない」という思いを強くさせていきました。

「俺の大事なものは、まずチカコだろ、子供たちだろ、そしてチカコの父さん母さんや兄貴たちだ」

とても大事なのだとダンナは言います。その大事な人たちを、またあんなふうに泣かせたりしてはいけないのだとダンナは言います。だから自分は、昔の自分に戻っちゃいけないと言います。
ダンナは私の実家に帰ると、とてもリラックスしています。ここが自分の家のように、遠慮もしないし甘えもします。だから、家族旅行などで私の両親も一緒に連れて、楽しい時を一緒に過ごしたいと。

私の両親も自分の息子のように思っているそうです。兄たちは「お前は俺らの弟なんだから」とダンナに言います。

「チカコ、戻って来てくれて本当にありがとう」

ダンナはもう、モラハラダンナではありません。間違いなく、違います。周囲のおかげで、ダンナはモラハラを脱する事ができました。だからこそ、ダンナの実家へ帰るとダンナはダメージを受けるのです。戻りたくない、逃げ出したい過去がそのまま現在もそこにあるからです。だけど、先日の実家へのあの電話は「息子」として、「子供」として、親への反発であり、歩み寄りでもありました。

笑って受け流されてしまったことで、ダンナは更にダメージを負ってしまいました。

あ、ご心配は無用です。自分にダメージがあったからって、もう私へなすりつけようとしたり八つ当たりしたりなどはありません。そういう気持ちになってる素振りすらありません。
戻って来てくれてありがとう、とダンナは言ってくれます。私はこう返します。

「たくさん努力してくれて、ありがとう」

私達のために働いてくれて、ありがとう。子供たちの為にお出かけを企画してくれて、ありがとう。誕生日プレゼント、ありがとう。
たくさん感謝を伝え合います。もちろん、喧嘩も時々します。前みたいに、ダンナに抱かれるのは嫌だと思わなくなりました。家庭というのはそれぞれで、何が正解というものはありません。ですが、せめて私は「帰りたくない実家」にだけはなりたくありません。子供に「血の繋がりなんて大事な事じゃない」とは思わせたくありません。

帰省以来、私はダンナに内緒の事がふたつあります。

ダンナは公務員です。公務員という職業は何かと世間の風当たりが強く、色々と私も不当で辛い仕打ちを受けてきました。義父と義母が、「息子の職業を人に言えない」と言いました。
ダンナが先に寝ていて良かったと思いました。獣医という夢を諦める事になり、なりたくてなったわけではない公務員。まあそれは自己責任だからとダンナは言いますが、その息子の、自分の子供の職業を人に言えない、とは。恥じる職業でしょうか。息子が公務員でその親に何か罪がありますか?
そもそも、公務員という職業に就いたダンナに何の罪がありますか?

もうひとつ。
それは、ダンナを産んだお母さんが亡くなられてること。
私も先日聞いて驚きました。……二年前だそうで。
ダンナは会いたいと思った事はないとは言います。ですが、産んだお母さんです。亡くなられた事が解っていながら、なぜ教えて貰えないのでしょうか。義母は「もう関係ないしね」とさらっと言いました。そういう問題ですか? まあこれは私の考え方なのでしょうけど。でも、「もう関係ない」と親が決めてしまうのはどうなのでしょう。子供は亡くなった事くらいは、教えて欲しいかもしれません。
産みのお母さんと離婚する時、義父がどうしてもダンナたちを渡さなかったそうです。それも初めて聞きました。
だったら、もしかしたら、お母さんはダンナたちに会いたかったんじゃないかな、と。どこに住んでいるのかも、義父は知っていたそうです。だったら、私達が親になって孫が生まれた時など、何も思わなかったんでしょうか。孫たちにとってはおばあちゃんです。ダンナの母親です。

とてもとても、悲しかった。
悲しくて、悔しかった。
お義父さん、あなたがお母さんへダンナたちを渡していれば、ダンナたちはもっと幸せな子供だったんじゃないかって。お義父さん、あなたもダンナに絶望されないで、思い出の中の理想のお父さんでいられたんじゃないかって。

勝手だけど、そう思った。

血の繋がりは大事な事じゃない。そう言うダンナだからお母さんが亡くなられたと聞いても、そうか、としか思わないかもしれません。だけどきっと、二年も前の事だと知ったら教えてもくれなかったのか、と落胆するでしょう。いつもいつも、俺たちは蚊帳の外だ、と。

私とダンナは、いい夫婦関係を築いてきていると思います。
前のやり直ししたばかりの頃とは違い、無意識に互いを思いやっていると思います。もう、ダンナの中に作られた理想の私はいません。現実の私と向かい合い、時には喧嘩もしながら、私達はようやく本当に恋愛を始めていると思います。並ならぬ覚悟と努力で私の気持ちに応えてくれたダンナを、私も大切に思っています。

こうした新しい問題はありますが、ダンナと支え合える今なら乗り越えられそうです。
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